未訳本『ナンパの技術』 モテキャラ5 自然児

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さて、THE Gameにも登場した未訳のナンパ本古典

The Art of Seductionの内容紹介シリーズです。

モテるキャラクターを9つに分けて

今日はその5番目。「自然児」です。

 

「自然児」は誰もが懐かしく思う、子供時代を体現する存在です。

子供心を思い出させてくれて、

守りたい、応援したいと思わせる力があります。

こういうタイプの人の前では、

誰もが自分のこころの壁を、自然と取っ払っちゃうのです。

 

なぜ子供のように自然なものは受け入れられるのか?

というと、自然災害とか自然現象は、人間にはどうにもならない、

受け入れるしかない、と人類は知っているからです。

特に子供は、災害とは違って危険なものではないから、

ただただ受け入れられるのです。

こうして受け入れられた「自然児」は、

自然であるが故に、理屈通りには動きません。

そこがまた、魅力になってしまうのです。

 

もし「自然児」を目指すなら、

純粋で衒いのない行動ができるようになるとともに、

残酷で乱暴という子供の悪魔的な面も持たなければいけません。

ただ、誰もが一度は子供だった訳ですから、

難しいことではありません。

今の、礼儀正しくて常識的な自分になる前の自分を

取り戻せばいいのです。

 

 

「自然児」には種類があります。

子羊、小鬼、天才児、無邪気な恋人

です。

 

子羊は弱くて無知な存在です。

社会に生きる人はだれでも、

自分はこの厳しい社会では弱くちっぽけな存在だと感じています。

だから人は弱くて無知な存在に共感を覚えるのです。

そして、世間知らずな言動は人々の笑いを誘います。

共感と笑いを与える存在は、愛されないはずがないですよね。

十年前の加護ちゃん辻ちゃんとか、こんな感じだったんじゃないかな。

 

小鬼はこわいもの知らずで、常識はずれのむちゃくちゃをします。

前回の「洒落男」のところで、

男女の役割の境界線上にいるのがモテる、

という説明をしました。

小鬼はそれが、

「大人と子供の境界線上」になったと思えば分かりやすいと思います。

おそらく太古の昔から、

大人は大人として、社会のルールやなんかに従って生きる必要があり、

だれもがどっかしらで我慢しながら大人になります。

小鬼は、そうした抑圧から自由な存在なのです。

むちゃくちゃするのを、我々はほんとはうらやましいのです。

もちろん悪いことも平気でするから、怒られることも多々あるでしょう。

だけど、それが自然で、しかもコントロールできないものであるなら、

それは笑って受け入れるしかないのです。

時には、痛快に思う人もいるのです。

コントロール不能でなきゃいけないので、

本気で謝ったり反省したりしたらダメです。

 

天才児は大人を驚かせるような存在です。

子供は未来への希望でもあるので、

素晴らしい発展を見せてくれそうな才能には

社会全体が恋に落ちます。

大人がこれに擬態する場合は、

努力して得た能力でも、努力してる様を見せないのが肝要です。

これはちょっと、ナンパで表現するのは難しいかな。

指輪ルーチンとかが、これの応用編になるのかな?

 

無邪気な恋人も、抑圧してしまう気持ちを

自由に行動に移せる人に憧れる、と言う点では、

「洒落男」やさきほどの「小悪魔」に似ています。

人は恋に落ちても、

傷つくのを恐れてついつい守りに入ってしまいます。

これを自然にオープンに出来る人には憧れるのです。

 

今回は例も多めです。

まずは喜劇王チャップリン

彼の真髄は、子供の純粋な目から見た現代社会

を表現したことです。

彼の代表作に、歯車に巻き込まれる『モダンタイムス』ってのがありますが、

当時は工業化と第一次世界大戦で、人間が社会システムに取り込まれ、

人生から自由が失われていった時代でした。

それに適応するしかなかった人々に、

適応できない純粋な存在が真剣に戦い、滑稽に終わるさまを見せて、

笑いと涙を誘ったのです。

 

2人目のコーラ・パールは第二次帝政下のフランスの高級娼婦です。

彼女はそこまで可愛くなくて、スタイルもそこそこだったけど、

当時の上流階級にモテモテでした。

まず、修道院育ちで礼儀作法が出来ていましたが、それを軽んじていました。

このあたりが「大人と子供の境界線上」ですね。

それから、自分を捨てた父が「君をスターにする」と言っていたのを信じて

他人がうらやむような生活をするのは当たり前だと考えていたこと。

そして、父に捨てられた経験から、

誰もが最終的には自分を捨てると考えていたので、

決して誰にも媚びず、自分のために自殺した恋人にも

非常に冷淡だったと言います。

子供の冷酷さと図々しさも持ち合わせていたのです。

彼女はか弱く無知な子羊でありながら、

周囲の大人を信用せずに助けを求めようとしませんでした。

それが、パリの上流階級の人から見ると

自分がなんとかしてあげなきゃいけない、

自分なら何とかできるかもしれない、

という気分を掻き立てる存在だったのです。

 

三人目はジョセフィン・ベイカー。

1920年代のパリで活躍したアメリカ人の黒人女性ダンサーです。

言ってみりゃ見世物なんだけど、彼女はとても楽しそうに踊るんです。

(youtubeで見れます)

パリの人々は、白人社会が失っていた「野生の喜び」みたいなものを、

黒人の彼女の中に見出したんですね。

パリはアメリカに比べれば差別も少なく、彼女はスターだったけど、

彼女はパリに依存せず、ブームが続いているうちにパリを去ろうとしました。

彼女もまた、父に捨てられていたので、

何かに依存したり守ってもらおうという気がさらさらなかったんですね。

それに、お客さんが自分に求めているものは、

自分が表現したいものではなく、お客さんが自分に投影したいものだ、とも

うすうす分かっていたのです。

貧乏なアメリカの黒人として生まれ育った彼女は

子供がやるように、自分の世界に引きこもったのです。

ダンスと夢と道化で楽しく彩られた彼女の世界があったおかげで

他のひとが苦しんでいても、彼女は笑顔でいられたのです。

彼女は大人の世界の損得ではなく、子供のファンタジーを守ろうとして、パリを去る決意をします。

現代でも、一部の芸術家などは、

現実世界を否定して自分だけのファンタジーをつくりあげます。

現実世界となんとか戦えるけど、楽しいファンタジーは作れない、という大人は、

彼らの作り上げた世界に一時でも参加したくなるのです。

 

四人目の光源氏は無邪気な恋人でした。

宮廷で女ったらしと有名で、

しまいには追放までされてしまうんだけど、

極めて自然に惚れた相手に近寄り、

そういう自分の生き方にためらいも迷いもなかったために、

最終的には朝廷に連れ戻されます。

誰もがためらいや迷いと戦っているので、

自信があると惚れるのです。

 

では恒例の「自然児」であることのリスクです。

それは、社会が受け入れられる自然児の数には限りがあり、

それを超えてしまった時には、

無力で無知な自然児はなすすべなく排除されるという事です。

「社会」が友人関係なのか、職場なのか、社交界なのかによって、

自然児を受け入れられるキャパシティも違うけど、

時と場合を考えて子供と大人を使い分けましょう。

あと、現代社会においてホントに子どもだったらただのアホなので、

「大人じゃないよな、子供じゃないよな」

ってポイントを狙って使いましょう。

それから、ある程度の若さも必要です。

前述の高級娼婦コーラ・パールは自然な「自然児」だったので、

年取ってからもおんなじような子供じみた振る舞いをしていました。

ババアが子供っぽい振る舞いをしても気持ち悪いだけです。

結果、恋人もパトロンも財産も失い、立ちんぼとして死んだのです。

 

 

今回はちょっとナンパに応用するのは難しい内容だった気がします。

ためらわず、あけすけに、大胆に、

というのはナンパでも大事な点ですが、

The Game含め他のナンパマニュアルも、

基本的にはPDCA、Try&Errorで仮説と実証を積み上げていく、っていう、

言ってみりゃ「科学」っちゅう大人向けの方法をとっているので、

あんまり相性が良くないんじゃないかな。

 

次回は「小悪魔」だよー。


相席屋 やれる

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