現役ナンパ師によるナンパ規制論の論点まとめ

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2015年4月13日。

一人のナンパ師のTwitterアカウントが炎上した。

 

炎上

きっかけは見ての通り、

ナンパを迷惑行為だと感じる女性の

「規制して欲しい」

というつぶやきに対する、ナンパ師サイドからの

「やめてくれよ」

という反応である。

 

このあと、

どういう経緯をたどるかははこちらのまとめを見てもらえればまとめられてるが、

この投稿を書いている時点では整理は不十分で、ノイズも多い。

 

また、この投稿を読むにあたっても、

炎上の概要を把握する必要は全くない(ように書こうと思う)。

ここで書きたいことは、

炎上した当事者の真意でも弁護でも、

ましてや審判ではなく、

個々のやりとりがどのようにすれ違っているかでもない。

あまりにも議論があっちこっちに飛んでるので、

重要と思われるトピックだけをピックアップした。

 

 

☆種々のトピック

 

その1:リスク管理の問題

広義のナンパ、狭義のナンパ、みたいな議論があったが、

ここでは

「公共の場で見知らぬ女性に親密になる事を目的として声をかけること」

くらいにしておきたいと思う。

腕をつかむ、暴言を吐く、進路をふさぐ、尾行する、なんてことはどう考えてもアウトなので、

さっさと取り締まればいい。

問題は、

男性側がセーフなつもりでやっている行為が、女性的にアウトなこと

だ。

 

見知らぬ男性から、性的な下心をもって声をかけられること。

これについて、

「よだれ垂らした大型の肉食獣が近寄ってくる恐怖」

と喩えた人がいた。

見事な言いまわしだと思う。

 

もちろん、こういう風に感じるかどうか、

というのは、

受け取り手である女性の体験や性格によって大きく幅があるし、

当然、声をかけた男性の態度や見た目によっても幅がある。

フラッシュバックするほどの恐怖体験もあれば、3秒後にわすれるケースもあるだろう。

(一生の伴侶になるケースも一応あるよね。)

ここに、第一の議論がある。

それは、

 

「一部のケースに因って全体を規制すべきか否か」

 

という議論である。

 

一般的には、

その「一部のケース」がどれくらい深刻か、

一方、規制しない場合の社会的なメリットがどれくら存在するか、

で、個別に規制の是非が議論される。

自動車だったら、一部のケースで最悪死ぬけど、

経済振興、技術革新、雇用なんかの社会的なメリットが超デカいから、

年間5000人以上死んでても許容されている。

 

事故はともかく、(性)犯罪は社会から撲滅できるし、

撲滅せねばならない、という立場もある。

 

 

その2:性差の問題

一部、前回と重複するが、

男性と女性の体格差、

そして、女性は性的搾取の対象であり続けているという文化。

ここの問題がある。

「よだれを垂らした肉食獣」を想像して欲しい。

 

シンプルに男女の体格差があって、

女性は殴り合いになったら勝てない。

このことがナンパをどれだけ断りにくいものにしているか、

というのは、私を含めた男性からはなかなか想像できないとおもう。

今もいるのかわからないけど、

原宿あたりのガチムチ黒人が呼び込みしてる服屋に閉じ込められた感じ?

に、近いのかな?

さて、買わずに出られるかな?

買わずに出る苦労を感じずに済むかな?

 

一方で、こうした迷惑が理解されない土壌もある。

現代日本でもまだまだ支配的な階級にいるのは「よだれを垂らした肉食獣」であり、

ルールや文化も彼らによって都合よく決められている。

「迷惑なナンパの話をしたらモテ自慢だといわれる」

「シカトすればいいじゃん、で済まされる」

 

フィジカルな弱さによっても苦労を強いられ、

社会的な弱さによって苦労を受け入れることを強いられる。

 

だったら、平等な立場にするために男性の「自由」を一部制限してくれよ。

 

という主張の結果が「ナンパ一律禁止」である。

 

これに対して、平等なんだから自衛しろよ、

守ってほしかったらまたイエに閉じ込めるしかなくなるよ、

 

って男性側からの反論もあったけど、

女性は弱いから守ってくれ、って言ってるんじゃなくて、

同じ強さになりたいから武器をよこせ、って言ってるんだよね。

あれはとんちんかんだったな。

 

 

その3:文化の問題

イタリアでは、アメリカでは他人に声をかけるのは当たり前。

もっとオープンに性の話が出来るようになるべき。

って話題。

イタリアには行ったことが無いけど、

純粋に文化の問題として、

あっちの女性はナンパされても怖くないし、

ナンパされる方が悪い、みたいな風潮もないのかもしれない。

けど、

社会全体がナンパOKの文化だったら、ごく一部のナンパ嫌悪派は、

日本よりもっともっともっともっと生きづらいよね。

ナンパ嫌悪派の

「どんなに少ないにせよ、断るのにコストがかかる」

ってのは普遍的なので、イタリアにもナンパ嫌悪派は存在するはず。

 

 

その4:他人を手段として扱う問題

 

これはナンパに限らず、自己啓発系すべてに共通する深刻な問題。

 

ナンパマニュアルが自己啓発に似ていて、

ザ・ゲーム30daysなんかはもろに自己啓発のフォーマットを踏んでるのね。

で、そこにどんな問題があるかというと、

「自分の成長」っていうのが何より優先すべき目的になってしまうということ。

自己啓発に限らないかな。

明確な目的をもつ(そしてそれを正当化する)となんでもそうか。

 

ナンパは自分磨き。

即セックスの数は男としての成長の証。

ナンパは仕事にも役に立つ。

酷いのになると、

ナンパは人間力。

 

マーケティングとトレーニング効率の事情もあるけど、

ナンパカルチャーには間違いなくこの文化がある。

そうすると、ナンパした相手ってのは、

自分の成長という目的のための手段になってしまう。

「他者を手段としてはならない」

はずなんだけど、今度はwinーwinとかいう言葉がこれを正当化する。

 

さらにこの「他者の人格否定」を加速するのが、

「色恋では、個人を見ない方が成果が出る」

という厳然たる事実。

 

案件、物件、とかいう呼び方に蔑視を感じてる人もいたけど、

一人の人格として尊重するより、相手を観察対象として一般化した方が、

セックス目的ならセックスできるし、恋愛目的なら恋人にできる。

この辺は、科学的思考の問題でもあるのかな。

女性側も、

夢中になりすぎた高校時代より、慣れ始めた大学時代の方が男は落とせる、

って考えるでしょ。

好きになりすぎないほうが恋は上手くいく、って実感、あるでしょ。

 

色恋ならそれで「夢中になれた頃が懐かしい」で済むけど、

ナンパだとどんどん「相手の人格を無視する」トレーニングを積むことになっちゃうんだよね。

 

と、おもわず倫理の方に寄り切った書き方をしちゃったけど、

「手段でもwinwinならいいじゃん!」って意見ももちろんありです。

そこが論点です。

 

 

その5:制度という暴力 自由という暴力

順番的には1,2、の後が良かったけど、

一番デカくて「ナンパ規制」にも直結するテーマなので一番後ろに。

 

ナンパ規制論の根源には、男女の腕力/権力の差がある。

公共の空間で男性の自由を許してしまうと、

腕力/権力の差によって女性側にシワ寄せが来る、ということを1,2、で書いた。

どれくらい来ているか、とか、俺はシワ寄せてない、とかいう議論はあまり意味がない。

問題は、そこに腕力/権力の差が存在する、という事。

 

それに対する「ナンパを軽犯罪とすべし」という対抗案は非常にシンプルで、

男女問わず、腕力/権力をケーサツやホーリツにお預けして、その支配下にはいりましょ、って事だ。

そうすれば、少なくとも公権力の監視下においては、腕力/権力の格差はなくなる。

めでたしめでたし。

 

出会いがなくなる?セックスが出来なくなる?

合コンで良いじゃん。風俗で良いじゃん。

 

確かに、

ナンパの目的が出会いなら合コンで良いし、

セックスなら風俗で良いよね。

純粋に、セックスまでの時間的金銭的コストパフォーマンスを考えて、

ナンパという手段を選んでいます、というナンパ師もいっぱいいると思う。

 

なんだけど、

合コン&風俗と、ナンパの決定的な違いは、

それが「制度」か「自由」かってことなんだよね。

 

ナンパクラスタには、

非モテで出会いが無くてそんな自分に残された最後の手段がナンパでした、

みたいな悲壮なひともいるけど、

大抵の人、特に若い世代は、

普通にしてれば普通の出会いがあるんですよ。

Edも普通の社会人なんで、合コンもあれば紹介もされますよ。

 

なんだけど、合コンって、

大学名や勤め先、社会的地位によって、

相手が決まってきちゃうんだよね。

それこそ、文化の暗黙のルールによって。

日本古来の(笑)美しい一夫一婦制の伝統に基づいた、

見えない性の平等分配システムがそこにあるんだよね。

風俗だってそう。

この場所でこれくらいの値段ならこんな感じの子、

って決まってんのよ。

てか、それこそ社会が「この辺の女の子は性的搾取してOK」って

定めてるところから拾ってきて、あるいは落ちてくるのを待って、

性的搾取、性暴力を合法化してるわけでしょ。

そもそも男性の性欲と、それを満たすための手段を制度の方にお預けして、

女の子あつめとセックス交渉を代わりにやってもらってる訳でしょ。

 

ナンパってのはその制度から逸脱するための手段でもある。

女性が男性中心社会に奪われた自分の性を取り戻したように、

(『みだれ髪』に限らず、女性解放運動の重要なトピックにセックスってあるよね)

我々もいつの間にか制度に取り込まれていた自分の性を、

知らないうちに制度に預けちゃってた自分の性を、

自分の自由の元に取り戻すためにナンパしてるって一面はある。

むしろ、これがナンパの本質であると思う。

 

このことを前提にすると、

ナンパ規制自体が意味をなさないものになる。

ナンパの本質が、制度からの逸脱だとするならば、

法規制に限らず、

性を制度化する力とそこから逃走しようとする力のイタチごっこが存在することになる。

路上で規制されれば本屋で、

下心が規制されればより巧妙なやりかたで。

そもそもその脱法性が本質にあるんだから。

 

というわけで、規制に反対する側としては、

自由をその旗印に掲げる。けど、

自由とは結局自分の存在、存在し欲望するという暴力を行使する自由に過ぎない。

結局、自分を含めナンパ師が自由を主張するのは、主張できるのは、

自由な状況の方が成果が出せる、という「チカラ」を持っているからなのかもしれない。

もし「チカラ」が無かったら、制度に性交渉の相手を用意して欲しいと思ったかもしれない。

(風俗もお見合いも無い世界で、女の子と上手く話せない男は、なんかレイプしそうじゃない?)

 

そして、いま自由な路上で、

「ナンパ」という形でして発露している「チカラ」は、

制度に従っている「男性」を出し抜くチカラだって側面しか見てなかったけど、

その下には無数の「コストを強いられる弱者たる女性」がいるのかもしれない。

てか、いる。

 

じゃあ、女性の側からすれば、

出会いが完全に制度化されると幸せですか?ってなると、

必ずしもそうではないように思う。

歴史的にも、制度化されてた江戸時代のイエ同士の結婚から、

頑張って頑張って駆け落ち以外の恋愛結婚を勝ち取ったわけでしょ。

けど、ここに関しては立ち入ったことは話さない。

Edは女でも弱者でもないからね。

 

ナンパ規制は性の否定、

として当事者のナンパ師は炎上したわけだけど、

(どっちかっていうとその後の「女は受け入れろ」かもだけど)

正確に言うと、

「ナンパ規制は性の制度化」

なんだよね。

性(Edは敢えて「恋」といいたいけど)に関する今ある自由を、

ホーリツやケーサツ、まぁ文化でもいいや。お見合い合コンみたいな。

そういうのにお預けしちゃっていいんですか?

ってこと。

規制が機能するかとか望む安全が訪れるかとかは細かい話なんで置いといて、

その自由と、安心安全とどっちを選びますか?ってこと。

社会全体としてね。

 

ナンパに限らず、ね。